2013年3月11日月曜日

3.11。涙は枯れない。

 今日は3.11。あれからもう2年が経つ。
朝のニュースも大方の放送局が特番を組んでいる。未だに復興もままならない地域が沢山有る。
僕達は本当に何不自由ない生活を送っている。。。
 今、生きている事に感謝しないといけない。

 あの日、息子も一緒に僕達家族は田舎の五条の病院に、ちょっと症状がおもわしくなく成って来ていたお爺ちゃんを見舞いに行っていた。
その時のブログです・・・。→→ 「生と・・・・。忘れられない1週間

 物語はやっぱりつながっている。本当にそう思う。
まだ2年前、息子は元気だった。帰りに車の運転もしてくれたかな・・・。
親父は今は89歳だが、体はとても血色が良くて病人には見えない。
でも、あの時はマスクをして眠る親父。痴呆が進んで息子の顔も解らない。
 人の幸せ、て何だろう・・・。そう考えて家に帰って来たのが、2時過ぎぐらいだった。

 しばらくしてテレビを着けると、大地震のニュースが流れていて津波の警報のテロップが流れている。
「え・・まさか・・・」と思いながら見ていたら、あの恐ろしい現実の津波の模様がライブで、山の様に流れてくる。
「とんでもない事に成った・・・」

 本当に恐ろしい大災害。野次馬根性では無く、この目で確かめたい。
4月に入って仙台へ走って来た。→「仙台」
あの時は高速がどこまでも1000円と言う時期でも有った。今から思うと、あの高速1000円は何かの役に足ったのかな?その場限りの人気とりの政治家のやることだったと感じる。
一月以上が過ぎた仙台でも、あの現場に行くと、とてもカメラは向けれなかった。脳裏に残る津波の映像が浮かんでくる。

 会社でもその頃から震災のボランティアの募集が始まっていて、当初は仕事の都合も有って行けなかったが、9月末には1週間のボランティアに行くのも決まり、用意もしていた。
 そこへ9月13日に息子の入院。8月頃から調子を崩して病院にも行っていたが、解らない。
もう少しでも早く精密検査でもしておけば、と思うけども、本当に「まさか。。。」と成ってしまった。

 息子との闘病生活の中で、
あの恐ろしい津波や思いがけない事故などで、一瞬で家族を無くしてしまうのと、先の見えない闘病を続けて苦しむのと、どっちがいい?・・・。
 そんな事を良く考えていたが、答えはない。
ただ少しでも家族と一緒に暮らせるならその方が良いかも知れない。とは思う。

 明日は息子の初月忌。今朝の新聞の記事には家族を津波で無くしたお母さんの記事が有って、
「涙はいくら流しても枯れない。2年が経っても思い出さない日はない。。。」そんな事が書いて有る。
そして、前にも進まなくては、と。
 
 息子はずっと一緒だ。
僕達には家も有る。可愛いモモも居る。贅沢さえしなければ何でも手に入る。まだまだ恵まれ過ぎてている。
 息子に負けないように、僕達も前に進んで行きたい。


 

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