2024年2月3日土曜日

30年前の話。。

  今日は節分だね。鬼は外か。。と僕らはそう繰り返して来たが、今は違うんだね。。福は内、だけを言うらしい。ニュースで放映していたが何と勝手な解釈だろう。世の中には嫌な事も一杯有るのに、いいことだけ内に呼ぶのは都合が良すぎるよ。。未だ改善されない能登方面の地震災害。1月1日に起きた事も悲しい結果を多く生んでしまった。帰省中の家族全部亡くして、お父さん1人だけ生き残っているなんて。。そんな人が何人もいる様で行き場のない辛い気持ちを見せて何度泣いた事か。前を向ける日がそんな人達にも訪れて欲しいが、いつに成るだろうね。。過疎地での災害は復旧が本当に遅れている。神戸や熊本の震災よりも、本当に遅れていると感じる。僕達には何も出来ないけどね。

 今日はいつもお世話に成っている6年生最後の高虎カップへの参加。5,6年生だけで参加する予定で準備していたが、1人休みに成りまた1人休みに成り、今朝には9人に。。4年生以下は神戸で僕が見て練習する予定ではいたが、4年生も1人休みが出て、朝の神戸のグランドでもう練習準備は出来ていたが、7人の4年生達を集めて事情を説明し、出る事は無いだろうが会場の芸濃グランドへ急遽行く事にした。約束はしっかり声を出して応援する事だよ。過去には県大会で鳥羽のチームが会場に着いてメンバー交換をしたが、メンバーが当日の欠席で9人しかおらず、試合没収と成り7×0での記録上はコールド負けに成った事が有る。最低10人はいないと本当は試合は出来ない。これがルールだ。しかし、、本当にこの1,2年、休みが多いと感じる。ご父兄の皆さには改めて子供達の体調管理をお願いしたいと思います。

 第一試合の相手は桑名の選抜チーム。力のある子はいるがやはりチームプレーで言うと、どうかな、と感じてしまう。先発したソラ。試合前での投球練習でも球筋はバラバラだった。踏み出す左足が地面にしっかり着くまでに投げてしまう印象。昔もコントロールの悪い子には良く練習をさせたが、足を踏み出し、着いた状態で投げる練習をした方が良いのでは、と思う。そんなソラだったが、良く要所は三振で押さえてくれたね。

ベンチ後ろで応援する4年生達。良く声援してくれたよ!

 1回の裏、シュンを置いてレフト越えの大きな飛球。芸濃グランドのBコートでも試合は同時進行していたが、そのショートを守る子に当たりそうな大きな打球。おそらく80mは飛んでいるだろうね。HRと思ったが、主審のコールはBのコートに入ったので2ベースと言う。3塁側スタンドの神戸のご父兄から、「え~!」と言うコールも上がったがローカルルールだから仕方ない。この回2点。3回表にはレフトを抜かれる打球も有ってBコートに入り相手も2ベースと成る。これでお相子かな。試合は同点のまま6回の特別延長戦へ入る。ルールでは1アウト満塁からの開始と成ったが、三振、レフトフライで無失点で切り抜け、その裏の攻撃。1点取れば勝ち、の場面で相手チームは前進守備をしない。。ちょっと理解出来なかったなあ。2死に成ってレンの打席。レンは低いライナーでレフト前に落とし貴重なサヨナラタイムリーと成った。この試合でのリュウキは体調も良くないようで打席では全くいい所が無かった。スクイズの空振りも有る。打席ではまた以前の様にバットを寝かせて構えている。。構えを変えて見るのもいいが、要はバットが出て来ないんだよ。それでも今日の2試合、ファーストでは良く守ってくれていた。

 2試合前は鈴鹿の選抜チームかな。2つのユニフォームを着た選手達。特に赤いユニフォームの選手達の個人の打力、投げる力が勝っていたね。チームのフォーメーションとしては隙は一杯見えるが打てなかったのが敗因。個々の力が足らないんだから仕方ない。この試合でもレンはレフト前、センター前のヒットを打っている。シュンはサードゴロが多い時はダメだね。ソラは最終回に先頭でやっと左中間のHRだけ。ハルも3三振でいい所は無かった。バットが後ろ回りでレベルで振れていない印象だ。試合は敗れて明日の3位決定戦へと成った。

 神戸に戻って来たのはもう3時を過ぎていた。この後は終わりまで3ヵ所でのフリーバッティング。しっかり皆、打ってくれたかな。そして今夜は今年初めての支部総会。津の学童チームは6チームと減少し、県大会への予選の有り方でも頭を悩ます所だ。去年に大まかでは有るけれどもリーグの引継ぎも終えて、今年は全て任せているし、本当にしっかりやってくれている。僕がやるのは神戸大会やプラスワン様、積水ハウス、住友電装様とのスポンサー様との段取りだけだ。間違いなく今年からは劇的に日頃のリーグの業務は減り、自分の時間が増えて来たのは間違いがない。神戸のチームとしての仕事も少しずつ減らして次へつなげて行きたいと考えています。今日の芸濃グランドの3塁側の応援スタンドで、まだ小さいお孫さんと遊ぶ初老の人。フクトのお爺ちゃんだった。僕より一つ学年上に成り同じく今年70歳に成る。フクトのお父さんは過去の資料を見ると神戸スポーツ少年団出身で平成6年度の卒団生だ。翌7年は今は高校生のリクトのお父さん。翌8年は今4年生のユウトのお父さん。そして9年はソラのお母さんもいる。そして10年度は僕の息子もいる。。その後13年度にはあの高木が卒団生だった。息子が卒団したその後に半年だけ下の子を見て欲しい、と言われてお世話に成ったからと引き受けた。半年の約束だったが、寒い中でも年長や1,2年生の子をBコートでずっと見ていた。いつに成っても1、2年過ぎてもお手伝いに来てくれる人は殆どいなかった。何より手のかかる子供達との時間が苦痛にも成って来たが、投げだす訳にも行かない。そんな時に高木が入って来たんだよ。そこから同級生も増えチームとして活動を始めた。後に、もう一時は引退されていた池内さんもお手伝いに来てくれた。それから。長い長い年月。沢山の事が有ったね。本当に時代は変わってしまったと感じる。子供達も親御さんの気質もね。今日、フクトのお爺ちゃんと話していても当時の風景は本当に懐かしく思える。親たちは言いたいことを言う。お母さんも。フライ上げたら「お前、てんぷら食ったんか!」とかね。お母さんだよ。こんな事は序の口で色んな声援が有った。今と成っては禁句と成る言葉も多いだろう。でもね、その中には応援する気持ちや愛情が有ったんだよ。誰も注意する事もなかった。皆、笑って声援していた。お爺ちゃんとのそんな懐かしい話。改めてチームも変えて行かなければと感じる。皆さまのご協力をよろしくお願いします。

0 件のコメント: