2024年2月10日土曜日

トリプルプレーとまさかの再会。。

  今日は桃園さんとの練習試合。8時頃にグランドに行くともう何人かの選手が来ていたね。予報では昨日より暖かく成るという予報だったが、試合が始まる10時頃からはいつもの神戸の風が吹いてくる。。少し予報をあてにして、気持ちも緩んでしまったが、想定以上に今日は寒かった。

 朝のグランドは学校での催しも有ったのか車が入った後も有り、デコボコの状態だったので車で均した。8時半を過ぎると外野の凍っていた所も緩んで来ている。それでも昔の様に霜柱がたってカチンカチンという状態は無い。明らかに暖冬に成って来ている。

 10時頃から始まった試合。先発したショウトは安定している。2回に4番に右中間へ打たれたがフクトが良く追い付いてシングルで止めた。今までなら抜けているコースだと思うね。その後はサードゴロ。ユウジロウの送球は大きくそれる。。試合前のシートノックから送球は安定していなかった。何より弱い。2バウンドも有る。今日はバッティングもいい所が無かったね。。無死2,3塁と成って6番。打球はショウト正面のライナーで捕球して1アウト。おそらくエンドランがかかっていたんだろう、サードランナーもアウト。そこから飛び出していたセカンドにもハルトがちゃんと構えていてアウトと成りトリプルプレーが完成した。まあ、おそらく今年1年はもう見れないだろうね。

試合後半、リュウキも投げたがもっと腕の振りが欲しい。バッティングも!

 午後からの第2試合の前のお昼休みに櫛形へ行く。お母さんが練習のお手伝いに来られていると聞いた。リュウシンの保険登録も有る。グランドでは元気に子供達が挨拶に来てくれる。そんな中でスパイク、練習着、グラブも持って神戸帽子を被るお母さん。聞くとソフトをやっていたそうで、やる気満々で他のお父さんとキャッチボールも始めた。ケガだけしない様に準備して下さいね、と話ししたよ。昔はフリーバッティングでも長い時間投げてくれていたお母さんもいた。Aチームにもどんどん入って来て欲しいと願う。

 そして神戸に戻ると第2試合は始まっていて神戸の攻撃。ユウジロウのスクイズは空振り失敗。2球目も失敗し、3球目はストライクを見送る。。ちょっと叱ったが投球ではまずまずだった。今日の2試合で目に付いた事。ハルトのセカンドでのカバーリング。ショート、サードゴロでのファーストカバーは本当に良く走り速い。1試合目のトリプルプレーの時もしっかりセカンドベースに入っていた。気に成ったのは2試合目にセカンドに入ったイツキ。同じ打球でもセカンドベース側へ走る。打球の方向へ走るのが基本だからそれはそれでいいが、ランナーのいる時、いない時ではそれは違う。1塁ランナーがいたらそれでいい。でもまずは打球を追う事。ファーストゴロならそのカバーリングが第一。セカンドベースでは無い。でもランナーがいなかったら、ハルトの様にファーストカバーだよ。ちょっと前のAチームでもそれが出来ていない事が大事な試合で大きなミスとして出て、タイムリーエラーに成った事が有る。無死1塁。打球はファーストゴロ。それが転がる前でも内野は内野ゴロゲッツーの声が飛んでいた。その1塁ゴロが来てファーストは捕球してセカンドへ投げたが、ベースカバーはセカンドが入っている。。何でだ。。ベース後ろにはショートが待っているのに。送球は三遊間寄りにそれセカンドは取れず、その送球はレフトもセンターもカバー出来ず、大きなタイムリーエラーと成ってしまった。セカンドはランナーいる時は打球の方向へ走る。それが普通に出来ていたら何でもないプレーだったんだよ。外野のカバーリングも同じ。そんな基本のプレーはしっかり覚えて欲しい、選手が代わっても同じ動きが出来る様に成って欲しい。

 打線では3番に入ったユウト。少し打つタイミングを変えたね。ノンステップで振る。ステップして打つのと打球の勢いは落ちるが、今日は2試合でセンター方向へヒットを何本か飛ばしていた。リュウノスケもバットは思い切り振れているね。2人の4年生に対して5年生の勢いが。。4番リュウキはセカンドも超えなかった。1番に入ったレンがヒットも飛ばしていたが、まだまだ荒い。どう見てももう少しバットは短く持った方がいい。無死2,3塁でサード、ショートゴロしか打てない打線も大きな反省点。打席に入る前にどこを狙えばいいか、考えてるかな。結果DPに成る事も有った。相手の桃園さんの大きな3番バッターは強い打球を飛ばすね。神戸にもこんな選手が欲しいが、出来ないなら点を取れる方法をまず考えて欲しい。最低でもどこを狙えばいいか、ノーヒットでも勝てる、そんなチームに成って欲しい。後はもっと声出し、声援が欲しい。桃園さんの方が余程声が出ていた。これもチームの課題だ。

 そして今夜はその桃園さんとのご父兄も交えた夜の懇親会。桃園の監督さんとは2008年の高円宮予選準決勝以来のお付き合い。あれからもう16年が経つが、今の津リーグにはその様な人はもういない。チームも無くなったり、監督も代わったり。。今は2人だけだ。昔はチーム同士で同じように懇親会を行った事も有った。その桃園さんの大きな3番バッターのお父さんとも楽しく話していたが。。

 ビックリしたよ。。11年前の息子がお世話に成っていた病院の外科の先生が挨拶に来てくれたよ。。この12日は11回目の命日に成る。これは何かの意味が有るのか?と考えてしまう。先生の息子さんはIKUSEIさんに入られて、桃園さんと合併する事に成って今日、まさかの再開と成った。沢山の本当に毎日沢山の患者さんを診られても当時の事を本当に良く覚えてくれていた。臨床工学士として勤めていた息子のいた病院の先生は、体調が急変した息子を診て、夜にヨメと2人病院に呼ばれた。まだ8月の終わり頃だった。あの時は神戸の30周年のチームでのイベントで野外活動センターで僕も参加して大勢の人達が集まっていた。僕の気持ちの中は早く病院へ行きたい。。その一心だったが取り合えず終わって病院へ走る。そして信じがたい宣告を受ける。。暫くしてまた急変し、転院しての手術と成った。その時からの先生との出会い。その後も手術は有ったが、それから1年半しっかり頑張って共に生きてくれた。僕も仕事も早期退職した。色んな療法やセカンドオピニオン。とにかく探した。必死で探したよ。先生にも何度も相談した。最後の家族旅行にハワイへ行こうと、機内に持ち込む沢山の点滴や医療器具など。全部先生にお願いして英語での説明書きもお願いした。そんなお付き合いを親身にして頂いた先生。息子の名前もしっかり覚えてくれている。あれから病院へはお世話に成ったお礼には行ったが、涙しかなかった。そんな先生とのまさかの再開。当時の事を思い出し色々話もさせてもらった。まだまだ若い先生。明後日12日はその息子の命日。何か有ればいつでも相談して下さい、と言ってくれて別れたよ。何か今日、出会えたのは意味が有るのかな。。と考える。もっと僕も頑張れ!と言う事かな。。いずれにしてもしっかり生きよう!これからも元気で。

 今日は桃園の皆さん、本当にありがとうございました。神戸のご父兄の皆さまも遅くまでありがとうございました。明日はシティマラソンですね。またお手伝いの人達も大変ですがよろしくお願いします。今日は本当に皆さんありがとう。

0 件のコメント: