2024年2月12日月曜日

栗葉さんとの練習試合と昔話。。

  今日は神戸での練習試合。相手は栗葉さんが来てくれる。どこまで新チームが頑張れるか、とても楽しみだった。数年前の強かった栗葉さんのエースの弟君が背番号10番を付けている。今日は僕はその子が投げる所は見れなかったが、投手力においては栗葉さんの方がスピードも速く出来上がっている感じだ。去年から投げている子も多い。

 8時過ぎの神戸のグランド。ご父兄の皆さんが準備を終えてくれていた。いつも本当にありがとうございます。第一試合は10時前から始まる。1回の表の神戸の攻撃。レンが出てユウトのスクイズで1点。続くリュウキは三振。その裏、ショウトには力みが有ったかな。ミスのランナーをスクイズで同点にされ、DBのランナーをセンターへタイムリー打たれて逆転される。ただ、その後は根気よく抑えてくれた。5回に1,3番に打たれて1点リードされたが、6回2死70球を超えるまで良く投げてくれたと思う。

試合の中で注目していたユウジロウのスイング。やっぱり遅れてるよ。。

 攻撃では3回にレンのレフトへのタイムリーで1点、6回表にはスクイズで同点に追いつき、その裏も2死まで来たが、ここでリュウキに交代。この後、セカンドのミスが続き2死1,2塁とサヨナラのピンチとは成ったがレフトフライで同点で、7回の特別延長戦へ入った。7回の表に1点勝ち越したがその裏、WPが出て2,3塁からまたセカンドのホームへの悪送球が出て、2塁ランナーも返り、そこでゲーム。仕方ないね。でもこの時に思ったのはセカンドは6回にも2つのミスをしているし、おそらく頭真っ白に成っている状態だったと思う。その中でのまた悪送球。普通に取って投げればアウトに成ったかも知れないが、なぜかグラブごと、両手で投げようとした。でもね、そんなミスが出ても誰も責めなかった。ベンチも他のご父兄の皆さんもね。痛いほど本人は解っていたはず。あえて責める事は出来ない。何人かの選手が頭や肩をたたいて励ましていたが、子供達も良く解っている。ちょっと嬉しかった。本当はこんな光景をお父さん、お母さんに見てもらいたい。そう願う。

 時間は11時半にも成っていない。その後は早めの食事を済ませてB戦を行う事に成った。神戸は4年生8人と5年生ショウトだけ、12時過ぎにはその試合が始まった。先発はキョウゴ。外の高めに外れるボールが多かったが、それを見越してキャッチのリードも内側に構えるリードも良かったのでは無いかな。初回にヒットから1点先制されたが、その裏、ミス、四球がらみで4点。ユウトの右中間タイムリーも良かった。4回表にはセンター越え3塁打からスクイズで1点を返され、5回にはレフト越えヒットからセンター越えタイムリーで1点差まで追い上げれる。4番にもレフトへ打たれ2死2,3塁と成って、ここでハルトに交代した。ハルトのセカンドでの守備振りを見ていても定位置からでもダイレクトでホームへ投げれる。それ程投球練習もしていないが、フォームも安定していて、この交代はちょっと楽しみだったね。ハルトはこの後のピンチも三振で切り抜け、6回表の守りでも1点のリードをミスや四球は有ったが何とか抑えてくれた。4年生の次のピッチャーとしてもこれは嬉しい結果だった。

初登板と言ってもいいハルト。踏み出す足がしっかり着地しても
まだボールが離れていない。これが良いと思うね。

 時間は1時半を回る。今日は2月12日で僕にとってはとても大事な日。これからチームには失礼してヨメとお墓参り。もう11年が過ぎたよ。。息子は1998年、平成10年度の卒団生。小学2年生、1994年頃からお世話に成ってるから僕もこの団でもう30年を超えて来た。これからもしっかり生きて行きたい。もう少し団でも頑張って行きたい。改めて思う。

 第三試合のA戦は見れなかったが4時過ぎにグランドに戻り、スコアブックを見せてもらうと。。ユウジロウの先発で6回2安打のみに抑えて無失点。対する神戸の攻撃も10番と3番のピッチングにバンドヒットと2つのミスでの出塁だけ。共に貧打線の結果だった様だね。ただこの時期ならユウジロウの低目のボールでも通用するという事だろう。試合はまた7回のタイブレイク戦に成り、7回裏の同点からの攻撃で3番ユウトがバントで送り、4番リュウキのスクイズでサヨナラと成った様だ。今日の3試合でキッカのスクイズ空振りは有ったが、それ以外は送りバントも出来たのでは無いかな。今はしっかり守って、小刻みにでもしっかりつないで行く事が大事。そんなにヒットは期待出来ないからね。7回表の神戸の守りはセカンドゴロでのホームアウトが有った様で、その時はアラタが守っていた様だ。良く抑えたね。アラタももっと自信もってプレーして欲しい。声ももっと出して!

 今日は2008年のAチーム、ユウスケが午前中に来てくれた。その後にあの高木世代の柴健こと柴坂が去年の春以来かな、来てくれたよ。津市内に引っ越して来たらしい。またちょくちょく来てくれるだろう。何より元気そうで嬉しい。今、神戸の創部から40周年までのチームの軌跡をまとめようと、少しずつ始めている。それを和暦で行くとね。。昭和、平成、令和と別れて、トータルな年代が本当に解り辛く成ってくる。それでも昭和57年度からの卒団生が今までも含めて全部やっと解った。1981年頃から活動を初めたと聞いていたが、正式にスポーツ少年団として前団長が登録したのは1982年。そしてその1982年に第1期の卒団生名簿が有る。そこから去年の2022年のリュウノスケ達まで、41期目の卒団生達がいる。そのやっと出来た名簿を見ていると、昔は本当にメンバーが多かったね。統計すると2022年卒団生まで478人の卒団生だ。ユウスケは卒団名簿には無くて、高円宮出場を決めてからお家の都合で引っ越したんだよ。それでもせっかくの県大会だからと当時の大会委員会や軟野連に頼んで、試合には出場しないが、開会式には一緒に行進させて欲しいとお願いし、その様にしてもらった思い出が有る。。

 試合を見ながらユウスケや柴健と色々話をしていた。昔のチームでの怒られた事、叱られた事も色々。子供達は良く覚えているね。僕は半分ぐらいは忘れてしまうが。。ユウスケと同学年でもう1人のチームメイトが関のP&Gでのグランドでの試合の時にショートとサードの真ん中に何でもない小フライが上がった。ところがどちらも動かなかった。その6番の子は4年生の頃からAでも試合に出ている。サードを守る子はやっと5年生から守り始めた。だから僕は6番の子を叱ったよ。すぐにベンチへ下げて、グランド走っとけ!と言って試合が終わるまで走らせた。夏の暑い最中に関のグランドの外周をね。。6番を付けてる選手なんだからもっと自覚を持て、人任せにするな!と。心の中はそういう気持ちで一杯だったが、少し言い過ぎたかも知れない、と心の中ではずっと思っていた。暫くしてお父さんに聞くとね、いつも一緒にお風呂入って話をするらしいが、その時は話もしなかったそうだ。それでも秋のマックの予選での栗葉さんとの決勝戦。その子が投げて勝ったよ。神戸のグランドで皆が本当に大喜びの春夏予選連覇だった。それでも心の中には僕の中にもわだかまりが残っていた。卒団式終えてもね。そして春が来て次のチームが県大会へも連続出場して僕も霞ケ浦のスタンドへ応援に行ったよ。その時にチームメイトの家に遊びに来ていたその子が、そのチームメイトのお母さんに僕に渡してくれとビニールに入れた手紙を、あの子から、と、応援のスタンドで渡してくれた。その中にはね。。僕は監督から我慢する事を教えてもらいました。。文章は短かったが桑名の強豪の硬式野球で苦労している状況の中で書いた気持ちだろう。。僕はスタンドで1人泣いた。嬉しくてね。心のわだかまりも吹き飛んでしまった。今でもその綺麗とは言えないその手紙は僕にとっては宝物だ。そんな話もユウスケ達の中では良く話題に成るらしい。今ではあり得ない話だと思うが、あの手紙に本当に救われたよ。ありがとう。また皆で神戸に来て欲しい。ユウスケも柴健も今日はありがとう。もう暫く僕も頑張って行くから。

柴健と佑輔。今日はありがとう!

 この3連休も寒い中で、指導者の皆さまもご父兄の皆さまも本当にありがとうございました。来週にも試合が続きます。もう少しでも打てる様に、しっかり守れる様にこれからも頑張って行きましょう。今週末もよろしくお願いします。

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