2020年3月14日土曜日

3.11が過ぎ、臨時休校から2週間。

 今朝は雨だね。。学校休校から2週間が過ぎ、子供達の体調が気に成るがこの雨では外へも出れないね。ストレッチなどお家で出来る事を少しでも続けて体調を維持できる様にして欲しい。間違っても人ごみの密集した買い物やイベントには行かない様に徹底して頂く様、ご父兄の皆さまにもお願い致します。

 そして今週は3.11。。。もう9年前だよ。
忘れないあの日の事。痴呆が進み、少し体調も崩していた田舎の親父を病院へ見舞いに行った日だった。確か五条の病院の駐車場には雪が残っていた記憶が有る。

 そして帰って家のテレビを着けたら大きな地震のニュース。まだ映像では津波は来ていなかった。それがどこかの港のカメラが水位が上昇し、少しして大きな津波が辺りを飲み込んで行く映像が流れて来る。。LIVEで。。まだ息子も元気で一緒に暫くニュースを見ていた記憶が有る。。

 2011年3月 ⇒ 生と。。。忘れられない一週間

 あの時は旧民主党政権。唯一僕達にとって良かったのは高速道路、どこまで走っても1000円が施行されたね。あの大地震、大津波の後の4月にどうしてもこの目で見ておきたい、と車を飛ばして仙台まで走った。確か新潟回りで仙台まで走った。でもね、少し後悔したよ。何の不自由もない僕達が見るべき物ではない。見てはいけない、それ程仙台の海沿いはひどかった。本当にシャッターを押す勇気さえ必要だった。それに比べて山側の仙台の街並み。。普段と少しも変わらない印象だった。有名な公園の桜がとっても綺麗で沢山の人達が花見に来ている。。海側では地獄のような状況なのに。。

 2011年4月22日 ⇒ 仙台
 2011年4月23日 ⇒ 繁栄と現実のギャップ
奇跡の一本松

 その年8月末には息子の病気の宣告を受けて生活が一変した。。
 それから6年経ち、もう一度行きたかった仙台。そして奇跡の一本松。そして今年映画にもなった風の電話。沢山の準備をしてヨメもモモもマーキュリーも連れて北海道を目指し、その途中に回って来た。奇跡の一本松は塩害で枯れたが、それを残そうと日本の自動車メーカーの技術者達が集まってそのモニュメントを作っている。凄い高さだよ。風の電話の住宅は高台に有るが、その近くまで津波が来ている。その高さは30mは有るだろう。信じられない高さだったよ。

 2017年6月 ⇒ 奇跡の一本松。仙台。そしてどうしても行きたかった風の電話。

 3.11。9年が過ぎても変わらぬ思い。遺族の人がニュースでのコメントで言っていた。
「生かされたんだから、、しっかり生きて行かないと」
僕もそう有りたい。生きたくても生きれない人達が沢山いるんだから。。

 そして新型コロナウイルス。。本当にこれは厄介だ。目に見えないウイルス。しかもワクチンや特効薬がない。とうとう三重県でも感染者が出た。全国で見ても収まる気配が見えない。世界ではアメリカやヨーロッパ、更に広がっている。これだけ世界的に広がってしまうと、この夏の東京オリンピックにも影響は出て来るだろう。出来ればやって欲しいけれどそれは解らない。WHOやIOCが決める事だ。春のセンバツも中止。。夢を一杯描いていた選手達はどんな気持ちだろう。。どこかの監督さんが、見えない敵に負けた。。と言っていたが、負けたのではないね。確かに人生の中での超ビッグなイベントだろうが、人生は野球だけでは無い。もっと辛い事もこれから一杯有るだろう。前を向いて頑張って欲しい。

 少し話はズレて、いつも職場の昼休みに見るNHKのドラマ、スカーレット。息子の白血病を宣告されて、「何も悪い事してないのに、なんで・・」と泣き叫ぶ母親。
息子にも話し、医師からは余命3年・・。「何が3年や!お母ちゃんが生かしたる!」
 職場で見ながら、泣けたね・・。本当にそうなんだよ。神様はいないのか!と思う事さえある。そして今朝のドラマでは。。
息子はごく当たり前の一日、家族や友人との当たり前の一日を望む。。そうなんだよ。普段の家族との変わらない日々。贅沢は出来なくても、本当にそれがどれだけ幸せな事か。

 早くコロナウイルス感染が終息する事を願います。
皆さんも子供達もしっかり自己管理をして体調管理をして頂くようお願いします。

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