2021年4月7日水曜日

ちょっと残念な聖火リレー。。

  今日は仕事休みに合わせて東京2020の聖火リレーが津市での行われるので、そのボランティアに行く。今年に入ってボランティアの追加募集の依頼が有り、チームの皆さんにも案内したが僕はすぐに申し込んだ。

 1964年の東京オリンピックの聖火リレーは、あの頃、まだ小学4年生ぐらいだったと思う。先生達に連れられて、地元五条市の綺麗に舗装されたアスファルトに白いセンターラインが引かれた国道を高校生達だと思う。胸の前に日の丸を入れた白いユニフォームを着て、煙たなびく聖火を持った選手が先頭を走り、その後ろを同じような選手達が2列で走って来る。その姿や光景はめちゃくちゃカッコ良くて、しっかりと記憶の中に残っている。夢や希望を思い描いた忘れない思い出だ。

1964年の聖火リレー。本当にカッコ良かった!!

 あの時の1964年の奈良の聖火リレーの様子をネットで調べていたら少しビデオが出て来た。僕の記憶に近い映像。でも映像よりもっと綺麗でカッコ良かったなあ。

 そんな事を思いながら12時前にはサオリーナへ行く。その広い駐車場はまだまだ空いていた。ホールに入ってスポーツ少年団本部に挨拶して暫く待つ。広いイベント会場に入って暫く待っていたらBチームのハルのお父さんが来るよ。。パパも申し込んでくれたみたいだね。それも聞くと僕の担当NOの次の番号。三重県に来て初めて同じ苗字の人と出会ったがそれがハルのご家族。こんな所で同じ苗字の人が続いてリストに載っているので誰が見ても身内だと思うだろうなあ。配置場所も同じ塔世橋辺り。説明を受けて皆でバスに乗り、県庁まで運んでもらってそこから配置場所へ皆で移動した。

 2時迄には配置に着きパイロンなども設置する。聖火が来るのは3時過ぎからの様だがそこまでが長かった。サオリーナにはメーカー名が入った大型のイベント専用車両が何台か来ていて、何するんだろう?と思っていたが、23号線の広い道路が通行規制されて暫く、そんな大きなイベント車がゆっくりと大きな音楽を鳴らし、盛り上げ役の踊り子?達が笑顔を振りまきながら踊り進んで来る。最初はまあ盛り上げだから、、と思っていたが、少し離れて今度は違うメーカーの大型車とPR隊達沢山。。そしてまた別のメーカーが。。どこかのテーマパークのパレードみたいだよ。タオルや自社の飲み物を沿道の人達に配るメーカーも有る。。それからも何台か続く。3,40分は続いたと思う。これ、聖火リレーなのか?聖火リレーはどこ行った?僕達はメーカーイベントのボランティアに来た訳ではない。。正直そう言いたかった。

 そんなパレードからまた大きく離れてバスや車両に囲まれてやっと聖火ランナーが来たようだ。盛り上げ役のメーカーイベント隊から時間は10分以上は過ぎていたし沿道の人達も何か冷めた表情。。肝心の聖火なのに。。塔世橋の手前で聖火の点火リレーが有った様だが、特にそれらの何のイベントも無く見た事もないおじさんがゆっくりと進んで来る。回りにサポートは沢山いるが、ランナーは1人だけ。それを沢山のカメラ車が追っている。。音楽が流れる訳でも無い。この聖火ランナーがこのパレードの中で一番寂しい情景だった。

 今はコロナ禍。この感染拡大の影響の中では仕方無いかも知れない。本当は子供達や若い選手や学生達が元気にサポートしながら走っても良いのではないかな、と思うのは僕だけかな。。実際の所、メーカーのサポートが無ければ出来ないオリンピック。57年前の聖火リレーではそんなメーカー色は殆ど無かった。沿道では殆どの人達が配られた日の丸を振っていた。このボランティアの取りまとめも近畿日本ツーリストが行い、ボランティアの配置や指導まで行っている。組織委員会はお金を出すだけの丸投げ状態なのかな。。何だかちょっと方向性が違って来ている様に感じる。日本の国の一大イベントなんだから、もっと官民協力して出来ないのだろうか。。国がしっかり主導して出来ないのかな。。ボランティアにしても、もっと民間企業や公務員さんに協力お願いできないのかな。。コロナ禍の状況だから学生達にも協力は難しいかも知れない。今日のボランティアに来ていた人達は僕よりも更に高齢な人達が半数ぐらいはいたのでは無いだろうか。。

 こういう時代に成って来たのだろう。グチは言わず、また何か出来る事が有ったら協力して行きたい。ところでその1964年の奈良の聖火リレーに高校生ぐらいで走った人。水泳の選手でオリンピックを目指していたらしいが、出場出来なかった。でもその人の息子さんは、あの柔道でオリンピック3連覇の野村選手のお母さんらしい。凄いアスリートの家系だね。明日からまた気持ち切り替えて頑張って行こう。

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