今日はチームはろうきん杯県大会へ。開会式は伊勢のダイムカップスタジアムであって、僕はチームの荷物車として走るご父兄に同乗させてもらって9時半頃には試合会場の鳥羽市営球場に着いた。他のご父兄の皆さんも待っていてくれて荷物を下ろす。
鳥羽球場に来るのは2007年以来で2008年までは当時はチームの武者修行も兼ねて、すぐ隣りに有った多目的グランドへも良く来て試合をさせてもらった。以前は伊勢や鳥羽のチームとはほとんど練習試合などの交流も少なく、積極的にこちらへ来て色々教えてもらい、チームとしても強く成って来た頃だ。
三重での国体も有り大きく変わった体育館。多目的広場も小さく成った。 |
会場に着いて鳥羽球場の隣の体育館周りなどを歩いてみる。あの頃から思うと本当にこの辺りは鳥羽球場以外は変わったね。体育館の隣に有った本当に広かった多目的広場は良く2面で野球をやっていたが、ボールが飛んで反対ゾーンのゲームが中断するなんて事は全くない。それぐらい広かった。今も多目的広場とは有るが真ん中あたりにフェンスも設置されて、野球は全くしていない様だった。
狭く成って野球もしていない広場。昔はここで2面で野球をやっていた。 バックネットも無く成ってしまっている。。 |
しばらく見て球場に戻る。グランドの試合準備も進めてくれていたが、ひとりの鳥羽の人が僕を訪ねてくれた。彼も少年野球の指導者だった方で僕がやっていた頃も元気に活動されていたが、児童の減少でチームも解散。知り合った頃から議員さんだったが、今も県議会議員をやられている。聞くと僕と同じ年だよ。熱心な方だ。今は右腕が上がらなく成ってリハビリにこれから行くらしい。僕は半身不随からやっと日常に戻りもうすぐ1年に成る。まだまだ彼にも負けない様に僕も頑張らないといけない、改めて感じる。まだまだ右手も右足も先は長いが少しでも子供達の役にたてればと思う。彼の話では鳥羽市内での小学1年生全体の入学生が50人ぐらい成ってしまったらしい。鳥羽市内全体でだよ。。今は鳥羽で3チームしかないが、オール鳥羽でチームが減るのも時間の問題かも知れない。昔はこの鳥羽球場をメインにパールカップや鏡浦の大会などにも参加させてもらっていたが。もう10年以上前になくなってしまった。本当に寂しく成っていく。。
今日の第一試合は10時20分頃から始まる。四日市のチームは1番が先発。先行の神戸は先頭ユウトがラッキーなヒットと成って出て、キョウゴの内野ゴロでホームに入り先制。3回はユウトの右中間3塁打からアキセ四球の後、2死とは成ったがアラタがライトへ2点タイムリー。でもこれもライトのグラブに当たるラッキーなヒットだった。3回は2死からユウト、リュウノスケのヒットの後、アキセの左中間2塁打の大きなタイムリー。これはナイスバッティングだったね。5回には待ち遠しかったゼンのタイムリーなどで2点を追加。守りでは内野フライやゴロのミスは有ったが4回までユウトは無得点に抑え、5回はハルトが押さえてコールドでゲーム。気に成ったのは相手のエース1番。初回から右足が変だな、と思っていたが終盤には1塁へ走るのも辛そうなポーズ。。後で聞いたら最近足を痛めたらしい。4回からはピッチャーも変わったがちょっと可哀そうだったね。
神戸の子達は昼食を食べながら観戦する2試合目は員弁代表と名張代表。名張さんが初回に1点先制しそのまま5回まで。5回に員弁さんが同点に追いついたが勝ち越しスクイズはショートがランナーに必死にダッシュしてタッチしアウトにする。そして6回の裏、1死から10番が出て盗塁。そこからランナーセカンドからのホームを狙ったサード前のバント。ファーストもセーフと成りランナーはホームへ上手く滑り込みサヨナラ。6年生が2人しかいないと聞いていたが、1点を防ぐデフェンス、1点を取りに行く攻めがしっかり出来ている。小さな選手達が多いが良くそれが出来たナイスゲームだった。
そして、その名張さんとの神戸の2試合目。1回の先頭ユウトの打球はレフトの頭上を越える3塁打。リュウノスケも出てアキセもレフト越え。名張さんの外野は大きく下がったがキョウゴもセンター越えの久し振りにいい当たりが出る。外野が大きく下がるとその前に落ちる打球も増え、2回も同じように打線が続く。緩急を上手く使いながらアキセは抑えて5回はハルトに代わりゲーム。久し振りに県大会の2日目へ進む事が出来た。このゲームではキョウゴの長打も出て楽しみな兆しだが、ちょっと元気無かったリュウノスケが心配だね。チームとして皆が怪我も無く元気に頑張って欲しいと願う。
明日も頑張れ!! |
明日はもっと厳しい試合に成るだろう。チーム全員でベストを尽くして頑張って生きましょう。ご父兄の皆さまも多くの声援を頂き本当にありがとうございました。明日もよろしくお願いします。
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