2025年3月12日水曜日

3.11で改めて思う。

  昨日は3.11だったね。あの日は田舎の親父を診まいに五条まで行き、お昼を過ぎて帰って来た。確か息子も一緒だったと思う。家でテレビを付けて暫く。。地震の報が流れ東京でビルから逃げ出す大勢の人達が映っていた。津波警報が出て各地の港が映っている。徐々に水位が上がって、そしてあの悪魔の様な大津波が襲う。

 僕はその後4月頃に仙台へ行ったが、仙台市内の海に近い街並みはカメラを向けるのさえ気が引ける光景ばかりだった。今、歴代のPCを調べても津波の後の画像は残っていない。

  4月22日・・仙台

  4月23日・・繁栄と現実のギャップ

 地震後にチームの子供達と募金活動もその後2,3年はしたと思う。その画像も今では殆ど残っていない。津駅西口でもやったね。ぎゅーとら神戸でも何度かやった。神戸のホームページにも載せてたが、残っていた写真は1枚だけだった。

ぎゅーとらさんでの募金活動

 それから7,8年経って再び訪れた東北。まだその時には南相馬の一本松はまだ枯れずに残っていたが、今は枯れてもう無い。長い高い堤防がその先にずっと続いている。その後に訪れた陸前高田の奇跡の一本松。この松も枯れ、その松の様子を日本の自動車メーカの技術者達が集まって再現した松が今は大きなモニュメントと成っている。津波で破壊された建物の後ろに立ち、その先には高い高い堤防が延々と続いている。

 2017年6月・・奇跡の一本松・仙台。どうしても行きたかった風の電話

 もう14年が経つが、風化させずに思いをつなげて行きたいと思う。日々有るのは当たり前では無いんだよ。周りへの感謝を忘れては行けないね。

0 件のコメント: