暫くお休みを頂いておりました。
6月24日の土曜から、チームの皆さんにはご迷惑をお掛けしましたが念願のモモ達とも一緒の北海道旅行から昨日夕方にみんな元気で無事に帰って来ました。
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冷蔵庫の上はベッドに成る。苦労して接続を考えたサブバッテリーと冷蔵庫の作動は完璧だった。 |
モモ達を連れて行くので全て車での移動。宿泊は車中泊中心。中部関東地域は特にワンコも一緒に泊まれる宿も多いが北海道は探しても中々有りません。なのでその為の車の改造も2か月近くかかって出発直前にやっと出来ました。
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ルーフに乗せたルーフテント。ここで大人2人は足を伸ばして寝れる。 |
今回の旅の目的、動機に成ったのは44年前の学生時代の日本一周。高速も通れない小さなバイクで。あの頃は今のバイクや車と違ってそれ程信頼性は無くある程度の修理道具も積んで出かけました。あの頃からバイクの修理は何でも出来たからね。野宿や安いユースの素泊まりなどで4万しか持って行かず3千円ほど残して8500㌔、25日間ぐらいで帰って来た。
それから子供も出来、仕事もリタイヤして時間が出来たらもう一度回ろうと、ずっと頭の中に有りました。
そして息子の旅立ちから4年前の北海道ツアー旅行での弔った場所の数々。同じ所にもう一度行って手を合わせて来たい。その思いもとても強く成って来ていました。
チームは労金予選も勝抜いて、口野監督がしっかり見て頂いています。代表以下、コーチ、ご父兄の皆さんも。Bチームもティーボール全国大会を決め池内監督がしっかり引っ張って頂いています。リーグ戦は残りますがAチームの公式戦も一段落するこの時期に無理をお願いしてお時間を頂きました。
24日の朝、息子のお墓参りをしてから出発。モモがつないでくれた沢山のバーニーズのワンコ友達。千葉のそのお友達の計らいで、その日はお世話になり、同じ父ちゃんを持つ親戚さんが翌日には沢山集まってくれました。
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モモの父ちゃん、大河。まだまだ元気! |
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当たり前だけどモモに似てる。 |
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可愛すぎるパピーも! |
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25日にはモモの親戚さんや沢山のワンコ友達が千葉に集まってくれて 見送ってくれたよ。モモとマーちゃんはお尻向けてるなあ。。 |
息子の探し回った大阪の病院のすぐ近くのペットショップにいたモモ。必死で見つけたその病院に、そこに行かなければ知り合えるハズも無かった人達。本当に不思議な縁ですべてがつながっている。多分全ての事はどこかでそうなっている。野球も一緒。そう思う。
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復元された奇跡の一本松 |
その後に北を目指し、26日は行きたかった奇跡の一本松。仙台の青葉城、
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青葉城 |
そして風の電話。。。NHKのドキュメントで見たその電話。震災で大事な大事な人を亡くした人達がつながっていない電話ボックスに話に来る。。どうしても行きたかった。
僕もヨメも想いを話して来た。ノートにも書いて来た。想いを伝えたい。。
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一個人宅のガーデンで開放されている「風の電話」はこの奥に。。 |
そして青森から青函フェリーで函館へ。
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素晴らしい景観の函館山 |
ここから一週間、素晴らしいお天気でした!
函館山、そこから弔った洞爺湖、昭和新山。4年前と同じ所もすぐに解った。
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洞爺湖もしっかり整備されている。サミットの影響かな |
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快晴の昭和新山。ここにも。。 |
富良野、美瑛の丘、パッチワークの丘。ここにも。素晴らしい景色だ。
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パッチワークの丘の弔い再び。。 |
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素晴らしい景観!パッチワークの丘 |
そして神秘的な青湖。まだ最近に見つかった観光地で4年前はそれ程の観光客では無かった。その日は中国人が一杯だったね。
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神秘的な青湖 |
そして層雲峡。4年前はここから始まったんだ。
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銀河の滝のたもとを流れる石狩川 |
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銀河の滝 |
銀河の滝のその石狩川のたもと。そこにも。ロープウェイに乗って黒岳の高見の台にも。
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黒岳 高見の台。この日も霧が濃かった。 |
すぐそこにスキー場も有るここにも。4年前の弔いはここで一段落。
この後は3年前の全国大会、旭川のスタルヒン球場へ。もう北北海道の高校野球の予選が始まっていた。
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旭川スタルヒン球場。息子のグラブと。 |
そこからは44年前の思い出をなぞってヨメにも見せたい。
素晴らしい摩周湖。今日は霧は無かったね。
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摩周湖。素晴らしい景観です。 |
そしてどうしても見たかった北方領土。根室方面の標津という所まで行くとそれが見える。それは目の前に!いつかは戻って来て欲しい!
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すぐ先に見える北方領土 国後島 |
そして知床。北海道の道路環境は本当に良く成っている。所々にトイレや休憩所も有る。もちろん道の駅も整備されてどこも綺麗だ。殆どがトイレもウォシュレット完備。それに慣れた僕達でも殆どトイレの心配は要らない。
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知床オシンコシンの滝。44年前は地道の山道を下りた所で何も無かった。 |
44年前は知床も地道だった。網走から宗谷へも地道が多かった。知床は世界遺産に指定されて大きく様変わりしている。とても整備されているが少し残念な気も。。
思っていた以上に順調に知床まで来れたので、翌日は早朝から一気に宗谷岬へ。ここもすっかり整備されている。凄い風だったなあ。
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最北端宗谷岬 |
その後は一気に旭川から岩見沢まで戻った。この日は700㌔ぐらい走っていると思う。高速は一部で国道や一般道ばかりだが、日の出から行動すればこの距離を走れる。
そして7月1日の土曜はモモとおばあちゃんが一緒の札幌の親戚さんへ。そのママと札幌市場で待ち合わせて市場を探索。お土産の海産物を買って送ってもらう。
そしてここが海鮮丼の発祥と言われるお店で海鮮丼。ここは注文してから全部ネタを準備するらしい。大、中、小と有って値段も相当な物。朝だし小を頼んだがそのトロの美味しい事!
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元祖海鮮丼。トロはめちゃ美味しい! |
モモの従妹に成るCreaちゃんと会って近くのドッグランで遊んでからおしゃれな小樽を案内してもらった。
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モモと従妹に成るCreaちゃん(左)そっくりだったよ。 |
ある程度回ったら車でお留守番しているモモ達と歩こうと思ったが、通り雨が来てその日は断念。
赤井川というとっても綺麗な道の駅で泊まったが、どうしても小樽運河をモモ達と歩いて写真だけでも撮りたい。そこからわざわざ50㌔程、小樽へ翌朝早くに戻ったよ。
するとね、運河を歩いているとその反対側にポチ玉のまさはる君が歩いている!手を上げて挨拶するとモモとマーキュリーを見てそこから暫くインタビューに成った。オンエアされるかは解らないけどね。
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小樽運河で、ぽち玉まさはる君と遭遇 |
本当に偶然の戻って来たから会えたまさはる君。雨もそんな巡りあわせを仕組んでくれたね。その後は積丹半島を走り神威岬へ。
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積丹半島 神威岬へ。狭い岬への通路をしっかり歩いた。 |
この辺りはあまり観光客は来ていないが道路環境もしっかり整備されている。
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神威岬 |
その海岸道路の風景は本当に素晴らしく続き、とってもお勧めなところだ。
7月3日北海道最後の朝、函館からフェリーに乗った。
フェリーに乗るとすぐに雨が降って来る。テレビもニュースも全く見ていなかったが台風も来ている様だね。本当に素晴らしい北海道だった。
44年前は十和田湖の電話ボックスで眠ったよ。あの時も雨が強かったからね。今は殆ど無いけどバイクだし、雨の時は電話ボックスが避難所だった。
十和田湖周辺もとっても綺麗になっている。一生泊まる事は無いだろう星野リゾートも有る。
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十和田湖 乙女の像 |
本当は日本海回りで下るつもりだったがこの強い雨で道路規制も出ている様だからね、まっすぐ福島、猪苗代湖まで一気に走った。ここの道の駅はおそらくNO-1。
素晴らしく綺麗でトイレ、洗面所も広い。父子トイレに親と子のウォシュレット便座が並んでいるなんて初めて見たよ。
そして日光東照宮、華厳の滝を回り、ワンコ友達の群馬の片品村のペンションへお世話に成った。
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日光東照宮 |
この片品村には有名な天王桜の老木が有る。桜の咲く頃は本当に綺麗で沢山の人達が来るそうだ。今度はその桜の咲く時に来たいね。
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天王桜の老木。とても立派で大きい。 |
その天王桜に手を合わせて一気に帰って来たよ。全走行は12日間で5000㌔近く。
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12日間、良く走った。 |
とっても素晴らしい旅、思い出一杯の旅でした。
日々の道中の模様は写真を整理しながら自分のブログ
yasuhiroの独り言 でも順次書いていきます。おヒマな時は覗いてみて下さい。
皆さん、留守中有難うございました!これらからもよろしくお願いします!
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