2026年9月3日木曜日

予科練、神風(しんぷう)特別攻撃隊。

  僕達は平成3年の春に津に今の家を建てて大阪から引っ越して来た。平成3年と言えば西暦何年?といつも考えるが1991年だ。確か息子は神戸小学校の1年生と成った。7つ違いの姉は西校中の1年。あれから35年か。。

 先日テレビで終戦から81年が経ち、あの太平洋戦争での予科練の訓練やその時代の風潮などを紹介している。予科練と言えば当時の日本海軍のパイロット養成学校。エリートを育成する機関では有るけれども戦況悪化の昭和19年には特攻を目指すパイロット育成機関と成っていた様だ。年齢は14歳からだよ。。今なら中学2年生ぐらいだ。そこから短期間で育成していく。特攻で死んでいくのにね。。

 昭和5年に予科練は開始されたらしいが、当初は70倍以上の競争率だった様だ。それでも太平洋戦争が始まる頃には殆どの予科練生達は「俺たちはいずれ死ぬんだろうな」と語っていたらしい。実際戦地に行った8割以上の人達は帰って来ていない。

 僕の親父も出征はしたが内地だったので今の僕達がいる。それ以上詳しい話は聞いた事も無かった。津に越して来た時に、津にも特攻記念館が有るとは知っていたが行く事は無かった。この年に成って原爆ドームや長崎にもまた行ってみたい。またと言っても前に行ったのは18歳の頃だ。それに鹿児島の知覧特攻記念館へは生きてるうちに是非行きたいと思っている。

 それで、昨日は香良洲に有る「津市香良洲歴史資料館」へヨメと初めて行って来た。調べると、ここは津市役所が管理しているんだね。非核・平和都市を平成19年に宣言している。前葉市長がしてくれたのかな。そんな事も知らなかったがお蔭で入館料も無かった。


 以下、3階に有る遺品などの資料室は写真撮影禁止と有ったが、沢山の遺影などは辛くて見れなかったね。。殆どが10代から20代前半だよ。。こんなことが有って良いのか。。



 空襲に来たB29からまかれたビラ。これは初めて見た。当時の人達はこれを読んで何と思っただろう。。


 終戦前には神戸小近くも爆撃されている。神戸の神社辺りにも爆撃が有ったらしい。


 津の護国神社の資料館にも有ったが、終戦前日の8月14日の昭和天皇を前にした御前会議の様子。僕はいつも思うが、天皇が戦争を止めたのなら、特攻が始まる前に止めれば良かったのに。。終戦より何か月か早く止めていれば、ソ連は参戦には間に合わず、北方領土は日本のままだったのではないか。。などと思うがあの時代には出来なかったのか。。と本当に残念には思う。あの時の終戦を妨害する色んな勢力も有ったとは聞く。。でも確かなのは止める事が出来たのは天皇しかいなかったんだろうと思うね。


 この津市香良洲歴史資料館の外には慰霊棟や沢山の石碑が並んでいる。ちょっと申し訳ないけどもずかずかと入って行く事は心も許さず、手前の祭壇の前で手を合わせたよ。今が有るのは沢山の人達のお蔭だ。感謝と言うより。。20歳前後で散った青年達に心の中でしっかり手を合わしたい。

 特攻は昭和19年の秋から始まったそうだが、説明の資料には僕達が記憶する神風(かみかぜ)特別攻撃隊では無く、神風(しんぷう)特別攻撃隊と書かれていた。当初はそうだったのか、いつしか「かみかぜ」と成ったのか、それは解らない。津のこの施設は海軍の予科練だったが、いつか行きたいと思っている知覧特攻平和会館は陸軍の様だね。その違いが有るのかも知れない。

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